旧池田氏庭園
(威風堂々、正門は総欅造りの薬医門)
東北三大地主といえば、山形県の本間氏、宮城県の斎藤氏、そして秋田県が池田氏。
大正時代に、その池田家の屋敷地に長岡安平の設計で築庭されたのが、国指定の名勝「旧池田氏庭園」。
(屋根妻の下に家紋「亀甲桔梗」の亀が波間を泳ぐ)
横手盆地、そのどこまでも広がる水田地帯の中に、堀と土塁に囲まれた亀甲型の屋敷森が、ポッカリと浮島のように現れてくる。
(午前中、寄り道して菩提寺の墓参り)
従兄弟の葬儀の急ぎ旅、ついでに親戚や菩提寺も回ってこようと、駅レンタカーを借りた。
それが正解で、効率よく用事が済んで、帰りがけの午後に4時間ばかりの余裕。
ホテルのフロントの方が調べてくれたお蔭で、この庭園と邂逅することができた。
(のどかな田園風景と借景の真昼岳1,060m)
さらにラッキーなことに、爽やかな秋晴れと、秋季一般公開日のダブルの幸運。
地元ガイドさんに引率されて1時間たっぷりと田園の秋を味わってきた。
ただ、カエデもケヤキは青々として紅葉は未だです。
(洋館は私設図書館で、村民は閲覧無料)
ガイドさんの説明では、池田家は代々この地域の発展のために、診療も給食も美味しい水道も文武奨励(図書館・柔道場)も、みんな無料(ただ)にしました、と称賛。
でも、1200町歩(≒千代田区)の大地主に限らず、お館(やかた)様と呼ばれる地主ならば、昔も今もやって当然の慈善事業。
小作人や店子から尊敬と信望を得られなければ、両者の関係は維持されない。
(これは妙案、木道で樹根を保護しながら回遊)
小難しいことは抜きにして、園内マップを持ちながら園内一周。
主屋等は焼失しているが、洋館・薬医門・五つの蔵が残っていて、皇室が来訪や滞在されたという豪邸の風格を偲ぶことができる。
(高さ・直径ともに4mは国内最大級、三本足の雪見灯篭)
とくに、厳密な意味の日本庭園として、主屋の南西側の主庭園と、東側の内庭の二つに、好感が持てる。
(内庭的な東側の庭園)
順路に従って、先ずは内庭としての東側の庭園。
奥座敷跡の沓脱石あたりに立って眺めると、左手奥の築山から、正面の滝口のある築山へ、さらに右手先の借景となる奥羽山脈の真昼岳へと、起伏変化(アンジュレーション)を上手に効かせている。
(名峰鳥海山が遠望できる主庭園)
つぎは、池泉回遊式の主庭園。
敷石だけとなった上座敷跡に立って、南西方向を眺めると、中島、八畳間に匹敵する笠を載せた雪見灯篭、
やや安っぽいが擬木の八ツ橋を配した主庭園が前面に広がっている。
日射しの関係で見えなかったが、木立の間からは、借景となる西の太平山と、南西の初冠雪したばかりの鳥海山が遠望できたはず。
(雪見灯篭と白い洋館ツーショット)
日の出から夕日が沈むまで、そして春先から晩冬まで、この二つの庭園(実は北西側にもある)を眺めていれば、自然の壮大かつ悠久の営みをじっくり味わいながら生きていける。
東北三大地主といえば、山形県の本間氏、宮城県の斎藤氏、そして秋田県が池田氏。
大正時代に、その池田家の屋敷地に長岡安平の設計で築庭されたのが、国指定の名勝「旧池田氏庭園」。
(屋根妻の下に家紋「亀甲桔梗」の亀が波間を泳ぐ)
横手盆地、そのどこまでも広がる水田地帯の中に、堀と土塁に囲まれた亀甲型の屋敷森が、ポッカリと浮島のように現れてくる。
(午前中、寄り道して菩提寺の墓参り)
従兄弟の葬儀の急ぎ旅、ついでに親戚や菩提寺も回ってこようと、駅レンタカーを借りた。
それが正解で、効率よく用事が済んで、帰りがけの午後に4時間ばかりの余裕。
ホテルのフロントの方が調べてくれたお蔭で、この庭園と邂逅することができた。
(のどかな田園風景と借景の真昼岳1,060m)
さらにラッキーなことに、爽やかな秋晴れと、秋季一般公開日のダブルの幸運。
地元ガイドさんに引率されて1時間たっぷりと田園の秋を味わってきた。
ただ、カエデもケヤキは青々として紅葉は未だです。

(洋館は私設図書館で、村民は閲覧無料)
ガイドさんの説明では、池田家は代々この地域の発展のために、診療も給食も美味しい水道も文武奨励(図書館・柔道場)も、みんな無料(ただ)にしました、と称賛。
でも、1200町歩(≒千代田区)の大地主に限らず、お館(やかた)様と呼ばれる地主ならば、昔も今もやって当然の慈善事業。
小作人や店子から尊敬と信望を得られなければ、両者の関係は維持されない。
(これは妙案、木道で樹根を保護しながら回遊)
小難しいことは抜きにして、園内マップを持ちながら園内一周。
主屋等は焼失しているが、洋館・薬医門・五つの蔵が残っていて、皇室が来訪や滞在されたという豪邸の風格を偲ぶことができる。
(高さ・直径ともに4mは国内最大級、三本足の雪見灯篭)
とくに、厳密な意味の日本庭園として、主屋の南西側の主庭園と、東側の内庭の二つに、好感が持てる。
(内庭的な東側の庭園)
順路に従って、先ずは内庭としての東側の庭園。
奥座敷跡の沓脱石あたりに立って眺めると、左手奥の築山から、正面の滝口のある築山へ、さらに右手先の借景となる奥羽山脈の真昼岳へと、起伏変化(アンジュレーション)を上手に効かせている。
(名峰鳥海山が遠望できる主庭園)
つぎは、池泉回遊式の主庭園。
敷石だけとなった上座敷跡に立って、南西方向を眺めると、中島、八畳間に匹敵する笠を載せた雪見灯篭、
やや安っぽいが擬木の八ツ橋を配した主庭園が前面に広がっている。
日射しの関係で見えなかったが、木立の間からは、借景となる西の太平山と、南西の初冠雪したばかりの鳥海山が遠望できたはず。
(雪見灯篭と白い洋館ツーショット)
日の出から夕日が沈むまで、そして春先から晩冬まで、この二つの庭園(実は北西側にもある)を眺めていれば、自然の壮大かつ悠久の営みをじっくり味わいながら生きていける。

この記事へのコメント
素晴らしい空間で、当時の人の心の広さ、エネルギーを感じて来ました。
ただ、太陽が傾き、輝くような紅葉が見られなかったのは残念でした。