中山道その6 熊谷宿に銘菓五家宝

   (箕田追分の地蔵堂の地蔵様に挨拶して出発)
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今日も晴れ、行ってみるかな。
覚えたての股関節の痛みをとる簡単体操を二つやって、家を出る。
NHK「チョイス!股関節のトラブル」で、
杉山肇先生が紹介してくれた簡単体操。
自分流に名付けて、①仰向け膝立て姿勢での太腿の横揺らしと、
②うつ伏せもろ手上げ姿勢での腰のふりふり揺らし。

   (鴻巣宿前砂の田園風景、6日目にしてまだ日本橋から14里)
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8時45分、北鴻巣駅近くの苗木の地蔵堂からスタート。
南西方向には奥多摩?の山々が見え、のどかな景色が続く。
英泉の浮世絵「鴻巣吹上冨士遠望」は、このあたりだ。

   (高崎線跨線橋の脇に設置された解説板に「吹上冨士遠望」の絵)
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出発から1時間、先ずはJR吹上駅でトイレ休憩。
吹上は、日光東照宮の警護(火の番)に向かう八王子千人同心街道とも交わる要所。
多摩との交易でも賑わうことで、正式の宿場ではないが、「間(あい)の宿」と呼ばれていたそうだ。

   (県道365号を左折すると東曜寺、いぼ地蔵尊は残念見落とした!)
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この吹上「間の宿」の道標を左折して、東曜寺を過ぎたあたりから、
ほんの一寸だが、ようやく三百年前の街道を辿っている気分になってきた。

   (元荒川が流れ込む榎戸堰、公園から関東山地?の山並みも見える)
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JR高崎線の跨線橋を渡って程なく、煉瓦製の橋の袂に「元荒川起点」の標石。
榎戸堰を通り過ぎたのに気付いて、50メートルほど引き返す。
元荒川が流れ込む榎戸堰公園で、風光明媚な景色を眺めつつ一服。

   (浮雲を追って、堤防の上をのんびり久下(くげ)新川村に向かう)
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去り際に、きれいに清掃されたトイレを写真に収める。
10か所まとまったら、心のこもった中山道沿いのトイレ特集を組もうかな。

   (久下堤の輪型の碑、久下新川村は荒川の舟運で明治まで栄えた河岸)
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そして道は、行く手右の元荒川、左手の荒川を隔てる堤防へと続く。
熊谷堤(熊谷八丁堤?)と呼ばれる高さ3~5mほどの土手だ。
土手下の舗装路が旧街道筋らしいが、景色が良いので土手上を行く。

   (久下一族の菩提寺梅龍山東竹禅院、中庭に達磨大師によく似た巨石)
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権八延命地蔵から、ガイド本を見ずに雲を見ながらぶらぶらと2km。
ミスコースしたかと不安になったが、運よく久下堤碑を発見。
熊谷堤から離れて、江戸~荒川の舟運で栄えた久下新川村に入ることができた。

   (世界中で唯一熊谷の清流400mだけに残ったトゲウオ科の淡水魚)
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熊谷駅まであと3km、元荒川の沖積低地を縫う旧道には見所が多い。
熊谷直実と所領争いをした叔父の久下直光が創建した東竹院や、
両名の名の一字をとった熊久橋では、天然記念物「ムサシトミヨ」が棲息する清流など。
五家宝の老舗紅葉屋本店は国道17号線にあって、銘菓試食ならず残念。

   (駅前の熊谷直実像、敦盛との一騎打ち、所領争い、出家と直情径行)
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昼過ぎ熊谷駅に着き、餃子の王将で昼食、そして後半戦午後1時スタート。

   (竹井本陣が築いた回遊式庭園、あいにく大勢の庭師が作業中)
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スタミナ補給した気になって、竹井本陣最後の当主の別邸「星渓園」に寄り道。
本陣が二つもあった熊谷宿だが、明治の大火や昭和20年の大空襲で
昔の街並みの多くが焼失している。
それだけに落ち着いた池泉回遊式庭園は貴重だ。

   (安永九年建立の石標「是より南は忍領」、やっと浮き城「忍城」圏外に)
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その先、旧中山道跡は国道17号線から逸れたり付いたりして、約5km。
3万歩を超えたところで籠原駅が見えた(見ちゃった)ので、午後3時終了。
実歩5時間、24km、ちょっと疲れた。この辺が限界?

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