小江戸・川越へ寄り道

   (川越城本丸御殿近く、かって舟運で賑わった新河岸川に枝を垂らす桜)
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中山道膝栗毛もちょっと中弛み、寄り道して花見に浮かれるのも一興。
それで、2回目の寄り道は、城下町川越を歩いてみることに。

今旅している中山道でも、宿場道標や石碑によくその地名が刻まれていたように、
川越は古くから交通・戦略・商業などの要衝。

   (蔵造りの一番街通りを行く観光客、老若男女・外国人と種々雑多)
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地図を見るとなるほど、車なら関越道、国道16号線、254号の川越街道が、
電車なら東武東上線、西武新宿線、JR川越線が通っている。

見所や食い処となれば、川越城の本丸御殿・喜多院・時の鐘・蔵造の街並み
「一番街」などなど、半日では回れぬほど盛沢山。
さすが小江戸・川越と謳うだけあって、中山道の宿場町とは格段の差があって、
一大観光地化している。

   (高校生を動員して調査した穴の数は、「ひゃくあな」ならぬ219か所)
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順番が逆になってしまったが、どうせ川越まで遠出するのだったらと、
午前中は、寄り道の寄り道。
先ず古墳時代の横穴墓群「吉見百穴」、次に川島町の「遠山記念館」を回った。

   (終戦前、朝鮮人労働者を動員して掘削された地下の軍需工場跡)
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吉見百穴、昔から不思議な穴として興味をもたれていたと案内にあった。
小庭師も写真でしか見たことがなかったが、
現地に立って眺めてすぐに、これは古墳時代の横穴墓群と即断(まぐれ!)。
市野川に面した丘陵の西側斜面にあって、南側の耕作する低地と離れていること。
無数に空いた穴が、屈まないと入れない墓の入口によく似ていることからだ。

   (外濠もある遠山記念館の外観、中は落ち着いた心地よい空間が広がる)
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そして、次はのどかな田園の中、3千坪の敷地に建つ遠山記念館(旧遠山家住宅)。
父の蕩尽で手放した生家を再興し、苦労した母を安住させるために、
日興證券創業者遠山元一が昭和(と言っても戦前)に建てた、と管理人さん。

   (書院造の18畳大広間から眺めた庭園、沓脱石や踏分けの伽藍石にも味!)
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でも、老母が心穏やかに住むだけなら、囲炉裏の居間と寝室があれば十分だよな。
何も茅葺きの東棟63坪、書院造の中棟87坪、数寄屋造りの西棟61坪、
その他もろもろ含めると、迷子になってしまう邸宅が必要だろうか?
見終えてみると、親孝行とは違った感慨が浮かんでくる。
(言葉が悪いが・・・)金に飽かせて全国から銘木・銘石を集めて、
政財官界の要人を接待する和風迎賓館として建造したのではと、そんな印象だ。

   (蓮馨寺にお参りしてから、綺麗どこは蔵造りの街並みのお座敷へ)
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まあとにかく、最優秀の人材と最高水準の技術と最高級の建材で建てられた
文化遺産の集合体であることに異論はない。
高床式の美術館とその展示品も含め、ふくよかな雰囲気を満喫しながら、
静かに鑑賞できて大いに満足。

   (喜多院は拝観中止、江戸城内から移築した客殿や書院が見たかったのに!)
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そんなこんなで、川越市立博物館の駐車場に着いたのが12時少し過ぎ。
何はさておき、念願のうな重が食べたい。

   (備長炭の焦げ目が少しあるいちのやのうな重(並2枚)、3枚でも味は同じ)
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11時に電話で予約を入れたら、喜多院の東屋さんは「今日の午前中は、
既に満席となっております」とやんわり。
予約不要の松江町交差点「いちのや」さんに飛び込んで、不安的中。
待ち席で1時間弱、テーブルに着席してからも30分弱待たされる。
お膳が出て食した時間は僅か20分で、レジを済ませたのは3時近く。
覚悟はしていたが、うな重を食べるのに2時間もかかるとは!
準備万端抜かりなきように行動しないと、こうなるのだと反省。

   (時の鐘、ビュースポットは旧小山家の蔵造り資料館にあった)
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しかし、3年?ぶりのうな重は、臭みも小骨もなく、とろり脂がのって最高!
江戸時代と違って、利根川・荒川流域の地場ものはもう獲れないだろうな。
すると、このうなぎは静岡か愛知か、どの池から揚がったのだろう。
次は何年先になるか分からない。一口一口味わい、米粒一つ残さずご馳走さん。

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