中山道その8 街道・市場・舟運の要衝「本庄宿」の今は?

   (岡部藩陣屋の長屋門を全昌寺に移設、骨太で曹洞宗の寺にお似合い)
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朝7時35分自宅を出発、
新宿駅8時8分発の湘南新宿ライン高崎行へ乗車して、
9時39分には岡部駅に到着。
トイレ・準備体操などして、10時に中山道膝栗毛を再開。

   (桜田門外の変など騒然とした年に建立、坂道に沿って百庚申が立ち並ぶ)
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ガイドブックを携えて歩かないと、絶対に古道を辿れない分岐点があった。
それが全昌寺の先を500mほど行った集落、岡の豊見坂。
集落の人たちの好意による案内標識や馬頭観音にも導かれて、
難なく、百庚申が並ぶ豊見坂を下り、小山川に架かる滝岡橋を渡る。

   (岡西の交差点を滝岡橋方向へ、畦や河原に咲く菜の花がまばゆい)
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春霞の先に、凸凹とした同じような山塊が前方と左右に三つ見えるが、
登ったことがないので山名が分からない。
ガイドブックには「左赤城」と記され、「赤城山が唯一左に見える」とあるが、
釈然としない。
おぼろげな地理の知識と方向感覚を働かせながら、
左右見比べ見比べ歩き続けたが、終着点の新町駅まで結論が出なかった。
どう考えても、左は妙義山、前方は榛名山、右が赤城山だと思うのだが・・・

   (武蔵と上野の国境に建立された傍示堂、右手の小さな御堂らしいが?)
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傍示堂集落の分岐で左折、元小山川を渡り、
県道392号線を本庄宿目指してひたすら西進。

   (旧本庄商業銀行が融資の担保に預かった繭を保管するための煉瓦倉庫)
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11時50分本庄駅に着いて、昼食とトイレ休憩。
では、ゆっくり田村本陣跡や内田本陣跡や塙保己一肖像画を見て回るとするか。
ところがどっこい、中山道最大の宿場の面影は、沿道からは見つけられなかった。
豪商戸谷半兵衛「戸谷八」の看板や、イギリス積みの赤煉瓦倉庫はあったものの、
観光地としては物足りない。

   (金鑚(かなさな)神社の南側からの外観、楠の巨木に眼を見張る)
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印象に残ったのは、本庄祭りで知られる金鑚(かなさな)神社ぐらいか。
樹齢四百年の楠と榧の大木と、重厚な社殿や大門は見事。

   (上里町の浅間山古墳を彩る染井吉野、やはりこの色合いが潔い!)
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今日は16kmと長丁場、逆に見ないですむならこれ幸い、時間短縮できるぞ。
さらに県道392号線を神保原駅へ向かう。
ところがどうしたことか、浅間山古墳の桜に見とれたか、
御陣場川の楠森橋の逆S字カーブに気をとられたか、神保原駅入口を見落とした。

   (金久保八幡神社で忘れもの、近くに金窪城址)
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1km以上も行き過ぎて、金久保八幡神社で小休止した時に、はたと気がつく。
加えて、そこでもカメラを置き忘れて引き返すドジ!
ボケがまた一歩進行、あ~あ、あっ。
こうなったら仕方ない、予定通りあと4km新町駅まで頑張ろう。

   (日本橋から94km神流川を渡る。8日目なので、割ると1日僅か12km)
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戦国時代関東で最大の戦があったという神流川の袂で、
四百年前の戦乱や民の生活に思いをはせる。
信長の家臣滝川一益と北条氏直の軍勢が神流川で激突、
滝川軍は三千七百六十名もの戦死者を出して敗退したという。

   (英泉の浮世絵「支蘇路ノ驛 本庄宿 神流川渡場」)
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英泉の「本庄宿神流川渡場」のようには渡河は無理なので、
現代風に新町駅をめざして神流川橋を渡れば、あと1kmで今日は終了。
というところで、驚いたことか、前方にお菓子の城を思わせる建物発見。
ガトーフェスタハラダの高崎本社だ。

   (信長の家臣滝川一益と北条氏直の激戦地、左手にお菓子工場)
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10年以上も前に「原田のラスク」を耳にしたことがある。
それが、あれよあれよという間に、百貨店の菓子売り場では、
どんな時間帯に行っても長い列に並ばないと買えない。
癪だから、それ以来並ぶことはしなかったが、美味いものは美味い。
ヒメダカをくれたU老人へのお土産もあるし、3箱購入して帰る。

追記だが、埼玉県のHPに「中山道最大の宿『本庄宿』の再発見」を見つけた。
宿場に関連した歴史や地場産業や見所・逸話などが満載。
至れり尽くせりで、このブログなんぞ不要かつ不用な無駄話となった。

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