中山道その3 大宮宿の今昔

     (蕨城跡に建立された和楽備神社、南北朝時代に足利一門の渋川氏が築城)
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今日も快晴! というか、いつも晴れの日を選んで家を出ている。
ルンルンで車窓の景色を眺めていると、
通路を挟んだ反対側の席で男が咳き込んで、いつまでも止まらない。

     (旧中山道沿いに残る旧家「局薬木鈴」、「薬」と彫られた木製看板が年代物)
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やばいな・・・ 
男はすぐ次の赤羽駅で降りて行ったが、ホームでもゴホン、ゴホン。
今から想いかえすと、男はこらえかねたように下車していった感じだったし、
車内の乗客もさりげなく男から距離を置くように身構えていたようだった。

     (中山道蕨宿一番地に架かる橋が境橋、現在は蕨市とさいたま市の境界)
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そしてつぎの瞬間、喉の粘膜がピタッと引っ付いた感じ。 
まあ空気感染するほど近くなかったし、
この数日間を振り返っても、感染者と接触した記憶はない。
道中、水分補給をまめに、防寒も怠りなくすれば大丈夫だろう。

     (早々と旧中山道を見失い、国道17号線を辿る。まだ日本橋から22kmなのに・・・)
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午前9時30分蕨駅西口に降り立ち、前回の蕨宿本陣跡まで約1km戻ってスタート。

     (さいたま市役所の前庭でたっぷり日向ぼっこ。紅赤プリンで口福感に浸りながら)
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今日のコースで、いつもとは違うと感じたことは、道路が交差点で直交していないこと。
見沼用水の分流とされる一六用水や笹目用水の案内板を読みながら、
ははあ~ん、用水に沿って道ができたからなのか、と一人合点。
なお、見沼用水と見沼代用水の違いなど面倒くさそうなので、省略。

     (市有形文化財の郭信寺仁王門の金剛力士像に守られて、幼稚園児が遊んでいる)
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しかし、用水の都合に合わせた、ひしゃげたというか横ずれしたような道の付き方で、
街道歩きを始めてから最長の(約2km)ミスコース。 
東京外環道路を過ぎた六辻の交差点で、信号が連続していたせいで、
旧中山道に入らずに、国道17号線に沿って北上してしまった。
ガイドブックの説明不足か、小庭師の思慮不足か・・・

     (さいたま新都心を間近に見るのは、完成直後の合同庁舎大会議室での説明会以来)
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つらつら考えるに、原因は「さいたま市」の急変貌、これしかない!
平成元年ころに政府機関の集団移転が決まって30年近く。
平成13年には浦和市・大宮市・与野市が合併して、おおみや市が誕生。
平成15年に政令指定都市に移行して、現在は(旧岩槻市も含めて)128万人を抱える大都市だ。

     (500m以上先まで伸びる広大な更地、三菱マテリアルの区画整理事業が進行中)
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もっとも、ミスコースしたことが幸いして、
浦和が発祥の地とされる紅赤(通称:金時)いもを使った和菓子にありつけた。
さいたま市役所の交差点真向い、創業113年の足立屋に
季節限定「紅赤プリン」があったのですぐ食味。
サツマイモのサラサラ感とプリンの滑らかさ、それと甘みも程よく混じりあって、仏頂面もにんまり。 

     (どの参拝者もしっかり2kmを歩いていた。楽したらご利益はないのは当たり前!)
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気分を持ち直して、目的地の大宮宿を前にして、今回も寄り道を1か所。
武蔵国一宮とされる氷川神社まで延々2000mの参道を歩いてお参りした。

     (撮影は畏れ多いが、手前が拝殿、背後の千木・鰹木を載せているのが本殿)
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疲れた~あ! 正味5時間、25000歩、20kmで無事?終了。

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