中山道その9 高崎三宿(新町・倉賀野・高崎)漫ろ歩き

   (花水木の新町通、ここでは「スリーデーズ」と複数形?)
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何となく気力も股関節も鈍重な感じだが、とにかく7時30分に家を出る。
日本の鉄道は、乗客の気分を忖度することなく、
きちんと10時04分には新町駅に運んでくれる。

今日は、新町宿から倉賀野宿を経て高崎宿までの約13km、
簡略化して高崎三宿だ。
「いつもの調子」で歩き始める。
つまり、距離を稼ぐだけ、漫然と中山道を辿るだけ。
それだから、肝心な名所・旧跡を見過ごしてしまう。

   (新町河原に「スリーデーマーチ発祥の地」記念碑)
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とは言え、新町駅から中山道へ出ると、何となく沿道が華やかだ。
桜が終わって、薄桃色の花水木が見ごろになっている。
それと、ここ群馬県多野郡新町(現在の高崎市)は、
39年前日本で初めてスリーデーマーチが開催された発祥地。
車いすの人や、伴歩者?(伴走者)と並んで歩く視覚障害者と、
何組もすれ違ったが、みんな陽を浴びて楽しそうだ。

   (高崎伊勢崎自転車道沿いの烏川河川敷には人、人、車、車、野球か?)
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気を取り直して、烏川を溯るように北北西へ進む。
関越自動車道のガードを潜り、土手道の「高崎伊勢崎自転車道」を
500mほど進んだところで、ミスコース。

   (流れの急な柳瀬の舟渡し場跡、渡し賃は平田船で一人十文也)
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ミスコースついでに柳瀬の舟渡し場跡を眺めて行こうと、さらに道を迷う。
最後は、烏川右岸、雑草が生い茂る幅200mの河原を横断!
アメリカセンダングサの種子が服に刺さって、ハリネズミ状態。

   (烏川の河原を柳瀬橋の下まで藪漕ぎ、冒険しすぎ・・・)
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体力をだいぶ消耗したので、県道121号線を西進し、
トイレ休憩と軽い昼食をとろうと倉賀野駅を目指す。
しかし不安的中、というか案の定、倉賀野駅にはトイレもベンチもない。
手前のセブン-イレブン倉賀野町南店に寄っておいて、大正解。

   (倉賀野宿の古商家おもてなし館、高崎市の運営だったのか・・・)
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日本橋寄りの下町には、旧家・豪邸・古商家「おもてなし館」があって、
宿場の風情が残っているが、全体としては旅人に「素っ気ない」印象。
帰ってから発見したが、高崎市のHPには、
三つの宿場のまち歩きマップがちゃんと用意されていた。

   (倉賀野神社の本社拝殿内には、狩野探雲63才の作画「厄除雲龍」)
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祭りが間近の倉賀野神社では、人目が多くて座って食べることもできない。
しょぼい松並木や、入口の分からない国史跡浅間山古墳には目もくれず、
意を決して、5km先の高崎城址公園を目指すことに。

   (102.5mの超高層庁舎、最上階21階には無料展望ロビー
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上越新幹線の高架をくぐり高崎駅まであと数百m、
新後閑町交差点あたりから宿場の街並みが残っているような区間に入った。
今では古の街道も整備されて、南大通りという愛称が付けられている。

   (西望の代表作「将軍の孫」、軍帽・軍靴をはいて遊ぶわが子がモデル)
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その南大通りのあら町交差点を左折して300m、
2時過ぎに、ようやく高崎城址公園に辿り着く。
園内には3組の団体が芝生で宴たけなわ。
思い思いのポーズで、色んな食べ物・飲み物や話題を楽しんでいる様子。
それを眺めながら、小庭師も40分ほどベンチに腰掛けて遅い昼食。

   (新町からの展望図で疑問が氷解、やはり前方の山塊は上州三山)
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高崎城は、家康の命を受けた四天王の一人井伊直政が慶長3年築城。
本丸には御三階櫓(=天守閣)が聳えていたが、
400年の歳月が流れた平成10年、超高層庁舎がその役を代わる。
高崎市街や榛名山などを望見する摩天楼だ。
午後3時高崎駅西口で終了、実歩4時間、18km、2万3千歩。

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